出会い口説きALLOK

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留学生の女子大生と付き合ったいい思い出

俺がテレクラで初めて外人女と会ったのは、今から4年前。テレクラざんまいの日々を送っていたころだ。その2年前ほど、サラリーマンをリタイアし、生まれて初めて入
ったテレクラで、柏木由紀風の美人に誘われてビギナーズラックなセックスを楽しみ、3日をあけずテレクラに通うようになる。ところが、会えるのはブスブタババァな女で、しかもタカリか売春。要求されるまま数万の金を渡したこともしばしば。それでも5人に1人くらいとは純粋にセックスを堪能できただろうか。俺はますますテレクラにのめり込み、結果、退職金から借金を引いた残り約100万は4ヵ月ほどで底をつき、失業給付金までつぎ込むようになった。その失業給付金もとっくの昔に終了した11月中旬、俺は渋谷南口のテレクラにいた。資金はサラリーマン時代に収集した貴重なレコードやオーディオ類を売り払って作った。苦労して集めた200枚ほどのビートルズのシングル盤はあっという間に棚から消えたが、それでも惜しくはない。スケベ情熱すべてをテレクラにかけていた。テレクラに入室して1時間ほどたったお昼ちかく、ハワイから来て通訳をしているという品川に住むミキとつながった。プライベートな日本人の友達が欲しくて電話した、と流暢な日本語でしゃべる。肉が好きと言うので、トンヵッの有名店で目黒名物「とんき」の話をするとのってきた。俺は初めての素人アメリカ女に会える興奮にドキドキして山手線に乗った。サラリーマンのころ、東南アジア系の女にハマったことがある。昭和の終り、池袋にあった台湾料理店「梅子飯能巴(メイッーハンテン)にはよく通った。本店は台北市にあり、本格的な家庭料理が味わえるし、別のお楽しみもあると先輩から聞いていた。ショットバーのような雰囲気に戸惑いながら席につくと、若い女が隣に座り、オードブルの、ひまわりだったかスイカだったかの種を割り口に押し込んでくれる。小皿料理も油っこくなく美味だった。途中で、ママとおぼしき女が来て「オールドのボトルをキープしてくれたら、ここの女の子を紹介する。女の子には1万あげて」と言い、「今は3人、だけど、まだたくさん日本にくる」と続けた。俺に付いてくれた、小柄でアグネスチャンふうの顔だちのミミが「ワタシ、シメイシテクダサイ」と甘えてきた。俺は料理代とポトルキープ、それに連れ出し料合計1万5千円ほどを支払った。
池袋のR大学に通う留学生、ミミに特に優れた性戯があったわけではない。が、小さくて丸い尻と前に突き出した乳房の弾力。それに何回挑んでもイヤな顔せず楽しそうに腰を動かす女は、いかにも魅力的だった。その後、俺はミミに会うため、帰国するまで週末には必ず店に出かけるようになった。「雪を見たい」とせがまれ行った妙高高原で、スキーをするわけでもなく、ほとんどの時間をベッドで過ごしたのも、今ではいい思い出である。その後は池袋北口に立ちはじめたマレーシア、タイの女を片っ端から喰いはじめた。アメリカ留学の資金稼ぎに来た、というヤンという女は中国系マレーシア人の学生だった。今でいえば「紀香」か「江里子」並のスタイル、顔は初代ミニスカポリス、大原かおり似。雑誌のモデルをしたこともあるという170センチちかい体を器用に使い、体位で応えてくれた。彼女の体には、いたるところに傷があった。特に背中の縦の傷はケロイド状だ。以前、政治運動をしていて、そのときの傷らしい。巣鴨にあった彼女のアパートには革命家チェ・ゲバラの写真が飾ってあった。ボブディランのファンで、ダビングしたテープをプレゼントすると、明け方まで喜んでウォークマンで聞いていたヤン、彼女はその後、五反田のピンサロに移り、3ヵ月ほどで消えた。